【紙芝居型ブログ】障害年金に対する思い

10万人に1人の罹患率と言われる精巣癌を経験しました。その当時の気持ちと障害年金業務に対する思いを紙芝居にしました。

高橋社労士
30代で癌になるとは思ってもいませんでした。しかしそれを転機として、社労士として自分がやりたいことをやっていこうと決意できました。再発もなく今は元気で仕事できています。

 

病名は精巣腫瘍(精巣がん)
高橋さん 当時38歳 男性

社会保険労務士の高橋さん。
体は強いほうではありませんでしたが、今まで大きな病気にかかったことはありませんでした。
30代前半までは税理士事務所で勤務していましたが顧問先の社会福祉法人に出向したことをきっかけに独立。
会計から労務問題まで、総務経理の何でも屋として法人に対する幅広い経営サポートをしてきました。

 

なんとか40歳までにお客さんを増やして事務所を大きくしたいな。

 

左の睾丸の先端にシコリを感じる。
近所のAクリニックを受診

 

あれ?何か睾丸の先端が硬いな…
ちょっと疲れているのかな…
気にはなってはいたのですが誰にも相談できずに放置していました。
でも1ヶ月が経っても治らなかったので、恥ずかしかったですが近所のAクリニックを受診しました。

 

「水でもたまっているんじゃない?」
先生は触診しても最初はシコリに気付かないような状態でした。
血液検査でも異常なしでしたので抗生剤だけ出してもらいました。

 

よかった大丈夫そうだ。心配してしまった。
繁忙期なので休むわけにはいかないもんな。

抗生剤を飲んでも症状は変わらなかったのですが腫瘍ではないという言葉に安心してしまい、忙しくなってきたこともあり以後通院せずに放置してしまいました。

 

先端のシコリの部分が大きくなり、左睾丸が二つに分裂しているような触感
通勤途中にあるB病院を受診

 

大きな仕事も終わりやっと一息付けた。
でも睾丸の症状は悪化してる気がするし…
触ってみると左の睾丸がやや大きい感じだし…
シコリの部分も目立ってきたし、睾丸が分裂しているような感じで変だ。
でも痛みもないし大丈夫だよね。

とは言うものの、さすがに不安になってきたので通勤途中にあるB病院で診察をしました。

 

先生は超音波検査の結果を見て険しい顔をしています。
精巣腫瘍の疑いがありますね。この病気はほとんど悪性なんですよ。
詳しく調べますのでMRIの予約をしますね。

 

腫瘍?悪性?って、がんってこと?

正直、この時は薬かなんかで治るものかと思っていました。
大きな機械の中に入れられての検査。
急に不安が増してきます。

 

精巣腫瘍
罹患(りかん)率は10万人に1人
20歳代後半から30歳代にかけて発症のピークがあり、若年者に多い
5年生存率はステージⅠで99%、Ⅱで95%

 

これは手術だね。もう睾丸としての成分がほとんどないよ。

とサラッと手術宣告です。
足の付け根を切開して精巣、精巣上体、精索を摘出します。
がん細胞の拡散を防ぐため精巣腫瘍は摘出してからではないと検査ができないのです。

 

一人でやっている自営業なので長くは休めません。
何日くらい入院するのですか?
仕事はどうしよう…

人生初手術です。私にしかできない仕事を持っているので長くは休めません。

 

 

んー、早ければ1日で退院できますよ。
と気軽に回答が返ってきました。

 

そんなこと言ったって…ああ俺の人生終わった…
病気になってしまったことで、いくつかのやりたかったことを断念することになります。

 

・あっという間に手術の当日。
全身麻酔ですぐに意識がなくなりました。
目が覚めた時に感じたのは「寒い!」という感覚でした。

 

朝が待ち遠しかったです。
病院の天井の白い壁を見つめながら、いろいろと考えました。

自分の寿命が38歳までだったらどうしよう。
「小説を読んでいたら 気付いたらもう残り数ページしかない時」
のような気分です。

このまま働けなくなってしまったらどうすれば良いのだろう…
自営業なので会社員のように傷病手当金もないから休めないよな…
まだ社会保険労務士として何もやりたいことができていない…

というような不安に押しつぶされそうになったのですが、すぐに仕事を始めることができました。
それでも歩いたり、起き上がったりするとお腹の傷口が痛みます。そして摘出した腫瘍の検査結果が出ました。

 

残念ながら悪性です。
この瞬間にがん患者となりました。
最初に、ほとんどの場合が悪性と聞いていたのですが、自分はひょっとしたら大丈夫ではないかと思っていました。
幸い検査の結果、転移はしていないことが判明しました。
それでもしばらくの間は落ち込んでいました。

転移したとしても治療が効きやすいがんだと言われています。
他人事ならば90%の生存率は楽勝です。でも、それが自分のこととなるとどうしても残りの10%を考えてしまうのです。

 

初めての3ヶ月健診。手術してからは4ヶ月目です。
傷口はすっかり塞がり痛みもありません。
睾丸が一つしかない体にもだいぶ慣れました。
検査結果は異常なし。
以後、だんだんと検査の間隔は長くなっていき、今は年に一度の検査となりました。
昨年で5年経ったので「治った」と言ってよいのかもしれません。

 

爆笑問題の田中さん、ネプチューンのホリケンさん。
同じ病気の先輩達に勇気づけられました。
しかし乳がんと比べると男性の精巣がんはまだ認知度が低く、そして話題にしづらいのです。

 

病気になって臓器を一つ失った事実は消えることはありませんが、
病気になったことが終わりではなく、
限りある人生の中で後悔しないように生きていきたいという思いが生まれ始めました。

「小説を読んでいたら気付いたらもう残り数ページだった」
という感覚から
「でも最後のページをめくると、下巻へ続くと書いてあった」
というように思うようになりました。
病気になった時に、よくなったらやってみたい仕事がありました。

 

それが「障害年金」です。
私にとって「障害年金」は希望でした。
発病時には自営業でしたので、もし悪化しても障害基礎年金しかもらえません。
30代で癌になるとは思ってもいなかったので、民間の医療保険にも入っていませんでした。

 

働けなくなることへの恐怖に押しつぶされそうになりながら祈ったことは、
「もし病気が治って不自由なく仕事をすることができたら、
今度は病気で苦しみ不安を抱えている人のために仕事をしたい。」
ということです。これが私の希望であり、病気と闘う気力となりました。

 

そして、
平成26年11月に小田原駅前に事務所を移し、従業員を採用し
障害年金の情報提供と相談しやすい環境を用意した
「西湘・小田原障害年金相談センター」
を開設しました。

私の目指すところは障害年金の受給だけではなく、
その後、病気が治ってまた職場に復帰、あるいは日常生活が送ることができている姿を見ることです。
そのためにも、一人でも多くの病気や怪我で苦しんでいる方の相談を受け、助けになりたいです。

 

それには一人の力だけでは足りません。
医療機関との協力、ドクターとの意志疎通が不可欠です。

 

『知らない』で『損する』をなくそう!!
というスローガンで情報提供を惜しみなくしています。
障害年金相談センターが病気で苦しんでいる方々にとっての「希望」を生み出すきっかけとなれば嬉しいです。

 

一寸先は
闇ではなく
光であることを
知らねばならぬ

私が病気の時に勇気づけられた詩です。障害年金相談センターの指針となっています。

 


障害年金のご相談は
【西湘・小田原障害年金相談センター】へ!!

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